THE COFFEE’S
HISTORY
THE COFFEEの誕生まで
代表の近井が「THE COFFEE」を立ち上げるまでの軌跡を綴りました。動画でもお伝えしていますので、ぜひご覧ください。
大学生の近井が、シングルオリジンコーヒーの草分け「NOZY COFFEE」と出会う。
NOZY COFFEEを訪れ、コーヒーの味、空間の素晴らしさ、スタッフのプロフェッショナルな振舞いに心を掴まれる。
NOZY COFFEEに就職。三宿店・原宿店を経験し、スペシャルティコーヒーを通して場を作りだす可能性を見出す。全国のバリスタが集う「JAPAN BREWERS CUP 2014/15」で5位入賞。
オープンから3か月後に店長として配属される。苦戦を強いる日々のなかで、徐々に木更津の人々との繋がりが生まれる。
閉店後、お客様からセレモニーを開いて頂いた。「また帰ってきてほしい」「この場所があったから自分はコーヒーが好きになった」との言葉に、全員で涙。
会社として木更津での再起はないことを知り、単身で戻ることを決意。木更津にもう一度コーヒーを主体とした、人が集まる空間を作るために。
プロデュースや商品開発、店舗立ち上げの監修など、千葉県にとどまらず全国の企業と協働。
「スペシャルティコーヒー×人×空間」で、THE COFFEEのコンセプトを示すモデル店舗としてオープン。
コーヒーを仕事に、NOZY COFFEEとの出会い
遡ること、10年前。通っていた大学のキャンパス行きのバスのなかで
こんな会話を聞きました。
「おい、駅前の立ち飲み屋で昼コーヒースタンドやってるやつがいるんだってよ」
と。
コーヒーはとても好きでしたがなかなか仕事に落とし込むのは難しいのでは、
と思っていた矢先にふと聞いた言葉で、
とても印象に残りました。
コーヒーを仕事にしようとしている人がいるんだと。
その後、大学4年で所属していたのが地域活性化のゼミで、
その卒業生として来たのがそのコーヒースタンドを運営していたオーナーでした。
その時点ですでに株式会社化し、世田谷にお店をオープンしているとのことでした。
彼は誰に対しても腰が低く、ただ秘めた熱意を持っている話し姿でした。
帰り道、たまたま最後まで電車が一緒だったということで、
ゼミ生に渡しそびれたコーヒー豆を貰いました。
それがスペシャルティコーヒーとNOZY COFFEEとの出会いでした。
一般企業に就職も、迷う日々と見えた道筋
出会った時にはすでに他の就職先が決まっていたため、
NOZY COFFEEで働くことは諦めました。
その後1年弱企業に勤めたものの、
自分を救うものは仕事の相棒にしていたコーヒーでした。
また、知り合いも誰もいない名古屋での辛い新入社員生活のなか、
たまたま観たのが「しあわせのパン」という映画。
お店に訪れる人たちがパンとコーヒーであたたかく迎えられ、
後ろ向きだった自分の人生と前向きに向き合っていくお話です。
見終わったあと、自然と涙が溢れました。止まりませんでした。
笑顔ある場をコーヒーで作りたい、与える人になりたいとそう思ったのです。
風吹く寒い夜の日とカフェラテ
映画を観たあと僕の気持ちは変化していました。
あの時に出会ったコーヒーにまた会いに行こうと。
学生時代に出会っていたNOZY COFFEEでした。
冬の寒い日で最寄り駅から徒歩20分かけて歩いて、ようやくたどり着きました。
北風も強く手がかじかむような寒さでした。
遠くから見える看板の明かりでお店の存在がわかりました。
コーヒーは好きでも専門店で飲んだことがなかったので、
非常に緊張したことを覚えています。
僕は手を震わせて緊張しながらお店の扉を開きました。

「こんにちは」という挨拶とともに、柔和でフランクな対応してくれるスタッフさん。
イメージとはいい意味で異なりました。
レジまでたどり着くと、わかりやすい説明とともに豆を選び、
オーダーのバトンがバリスタへ。
目にも止まらぬスピードで、プロの手作業でドリンクが出来上がりました。
笑顔で手渡され、一人席について飲んだときの感動は今でも忘れられません。
いや、正確に言うと飲んだ後の余韻が他のそれとは断然違かったのです。
飲料で幸せを感じたのは初めてだったかもしれません。
行き道は寒いことしか覚えていなかったのに、帰り道は味の余韻で幸せな気持ちのままに帰れる。
こんな体験は今までにありませんでした
そこから僕はこの感動を追い求め、多くの人にこの感動を届けたいと思い、
コーヒーの世界に足を踏み入れることとなります。
自分が愛するもので勝負ができる、幸せを届けられるこの仕事に就けたことが、
たまらなく楽しかったことを記憶しています。
スペシャルティコーヒーで届けられる幸せと豊かな時間

自分が店頭に立ってからは、その幸せを届ける側に回りました。
シンプルに自分が感じた感動を伝えることで、その豊かさを届ける。
それだけを考えて仕事ができることが幸せでした。
また自分が届けた豊かさで、その人が幸せになるというループを身近に感じられました。
飲んだ瞬間に甘い!という声をいただいたり、
飲んでいるときの楽しそうな表情を見るたびに
「スペシャルティコーヒーにはこんな力があるのだ」
というのを目の当たりにしました。
またそういう人が集まる場はあたたかい空気が流れることも体感しました。
三宿店ではそのバトンを渡す人として、
原宿店では特別な場を作り出す可能性を感じました。
三宿店と原宿店で
スペシャルティコーヒーが人に与える感動と場づくりでの可能性
を確信しました。
そこで得た自信を元に大会に出場。
全国のバリスタが集う「JAPAN BREWERS CUP 2014/15」では
5位に入賞することができました。

そして、入社から1年半後、オーナーの念願であった地元出店がきっかけで、
木更津に縁をいただくこととなります。
NOZY COFFEE木更津店が開店

OPENして3ヶ月後での配属で、当初はスペシャルティコーヒーを知る人もおらず、
お客様から見向きもされない日々。
「コーヒーしかないの?」
「電機屋さんの系列?車屋さんの受付?」
「酸っぱいね、コーヒー。」
苦戦を強いられる日々でした。
情熱を持って本質を伝え続けることで、コーヒーの魅力に気づき始めたお客様と
同じように情熱を持って木更津を盛り上げようと思う事業者とのつながりができました。
1店長である自分が外に出て、多くの経営者の方と意見を交わしたり、
コーヒーの講演会を行ったり、コーヒーを使った商品開発を行ったり。
そこまで活動を広げたときには自分だけではなく
各スタッフにも多くのファンができ、
店舗の形が完成しつつありました。
NOZY COFFEE木更津店が閉店
ただ、そのタイミングで閉店を余儀なくされました。
店舗の成長が追いつかなかった。悔しい気持ちでいっぱいになりました。
閉店日は本当に1日を通してドラマのような日で、
止まらぬオーダーとお互いに感謝の言葉を投げかけながら最後のお別れをしました。
シャッターが閉まる21時にもオーダーが止まることなく、
閉店後はシャッターの中にお客様が大勢残る事態となりました。
なんとそのまま閉店のセレモニーをしていただくこととなり、
「また帰ってきてほしい」
「この場所があったから自分はコーヒーが好きになった」
という言葉をいただきました。

そこで花束と記念品をいただき、全員と握手で別れを告げました。

木更津にもう一度コーヒーを主体として、人が集まる空間を作りたい。
閉店した2017.10.15から気持ちは決まっていました。
もう一度木更津にスペシャルティコーヒーを伝える場を絶対に作る、と。
会社として戻ることができないとわかり、単身で木更津に戻ることを決意しました。
近井が単身で木更津に戻り「THE COFFEE」を立ち上げ
そこで立ち上げたのが
THE COFFEE ザ コーヒー です。

THE COFFEEのロゴには
「コーヒーを中心に人の輪を原動力に未来に突き進む」
というメッセージが込められています。
・コーヒーの本質を伝え続ける
・コーヒー×○○で新しい可能性を追求する
ことで
地方都市でのスペシャルティコーヒービジネスを成立させ、
「コーヒー」でその地域に住んで良かったと思う人を増やし、
バリスタが職として成立する世の中を創り出します。
木更津を拠点に、全国の様々な企業とコラボレーション
THE COFFEEは2019.7から正式にスタートしました。
それと共に、
木更津市祇園にて製菓会社様とのコラボレーションを行い
「焼き菓子×コーヒー」で
TANUKI COFFEEの立ち上げと運営を行いました。
THE COFFEEの岩沢は、ここでスタッフとして加入しました。

また、市原市においては警備を本業とする企業様と
「カレー×コーヒー」で
店舗の立ち上げと監修を行いました。

その後、千葉県に留まることなく、
東京渋谷のレストランでのコーヒー導入、

京都嵐山プロジェクトでは
「ほうじ茶×コーヒー」でほうじ茶の味わいを存分に生かした、
エスプレッソほうじ茶ラテをクライアント様と共同開発しました。
その他、
店舗での技術指導や、出張での講演会、バリスタを行いながらスペシャルティコーヒーの魅力を多くの人に伝える活動も行なっています。
念願の実店舗「THE COFFEE Kisarazu」をオープン


「木更津から、あの日の続きを」ということで、
NOZYCOFFEE木更津店閉店の2017年10月15日から
はじまったプロジェクトです。
「スペシャルティコーヒー×人×空間」で、THE COFFEEのコンセプトを示す
モデル店舗としてオープンしました。